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天理に関する商品『◆天理教鉦鼓用 撥 金具付』
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宮忠
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天理 ◆天理教鉦鼓用 撥 金具付に関する旅行記
- ☆★秩父川越いいとこめぐり...
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作成中
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2009-4-22 \ 0泊1日
朝食1回 昼食1回 夕食1回付
最少催行人員/人
【横浜駅出発】
▼集合場所 西口天理ビル
▼集合時間 午前7時00分
【たまブラーザ駅出発】
▼集合場所
▼集合時間 午前7時50分
4058
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天気のいい日は写真とるのが楽しく贅沢な悩みですが整理するのが大変でした
秩父観光ナビ
http://navi.city.chichibu.lg.jp/index.html
西秩父
http://www.nishichichibu.or.jp/asobu/index.htm
http://www.chichibu.info/
羊山公園
http://www.chichibuji.gr.jp/shiba-img/shiba.htm
長瀞
http://www.chichibu-railway.co.jp/kanko/index.html2010/08/31 02:08:45
- 2006新年、中国旅行記8(6):1月28日(1)上海・銀都...
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<2006年1月28日(土)>
今日は、旧正月の大晦日です。昨年が2月8日でしたから、今年の方が10日ほど早い日です。朝の内は靄がかかっていましたが、次第に晴れ上がり、昼間は名古屋の4月頃を思わせるポカポカ陽気となりました。
ところで、大晦日の語源について、紹介しておきます。「みそか」は、本来「三十日」と書き、月の30番目の日という意味でしたが、転じて月の最終日を意味するようになりました。大晦日は、1年の最後の月の最終日であることから「大」が付けられたものです。29日で終わる月は「九日みそか(くにちみそか)」とも呼ばれます。「晦日」は「つごもり(月ごもりの略)」とも読み、月が隠れて見えなくなる頃を意味します。
太陰暦では15日が満月とされ、月はその後欠けていき、最後には月が見えなくなることから、「三十日」に「晦日」の字が当てられました。
大晦日には、様々な年越しの行事が行われます。年越しの夜のことを除夜(じょや)とも言います。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信がありました。日本の場合、新正月に代わり、年越しの風習も、中国、韓国とは相当に違ったものになってきたようです。
<朝の散歩>
皆さんと揃って、朝一番の銀都路住宅内の散策をしました。薄い靄が晴れ上がる前でした。静かな住宅街で、行きかう人もありませんでした。住宅の入り口とは反対方向に歩いて、板の散歩道が敷かれている池がある方向へ向かいました。
住宅の入り口には、正月飾りがあり、庭には早春の花が咲いていました。黄色の花を咲かせた潅木は、蝋梅でした。草花ではパンジーや雛菊がカラフルな花を咲かせていました。昨年の旧正月では、上海では珍しいといわれる積雪がありましたから、今年はずいぶん暖かく感じます。
板の散歩道を渡って、住宅の端になる川沿いの道に出ました。何度亀にした景色でしたが、この日は靄がかかって、幻想的な風景になっていました。そんなに広くない川の対岸には、いつもの船が泊まっていました。航行しているのを見たことが無い、不思議な船です。
河畔の木々は、葉を落して冬木立になっていましたが、枝先には、蕾や新芽が少し膨らみはじめていました。春の訪れを感じ取っていたのでしょう。元来た道を戻って、朝の散歩を終わりました。
<スーパーマーケットへ>
住宅内の散歩を終わったあとは、近所のスーパーマーケットへの買出しです。上海旅行の大きな楽しみの一つになっています。上海旧正月旅行は、ある時はグルメツアー、ある時は買出しツアーに早変わりです。
昨日のうちに、下見を終えていましたから、後はひたすら買い込むだけです。とは言っても、また別の面白い品が目にとまりますと、そちらの方へも手が伸びてしまうようです。
私の場合、もう一度このスーパーマーケットへやって来る機会がありますので、もっぱら試食用に、少しずつ買い求めました。メインの買い物は、現地消費用の紹興酒です。最初に黒ラベルとは違う品を買ってしまいましたから、今度は間違わないよう黒ラベルを探しました。お土産用と、自家消費用です。
<S.P.先生、Ya先生との再会>
散歩から戻ったところで、S.P.先生、Ya先生と再会しました。昨年8月に、愛知万博見学で来日されて以来のことでした。大晦日に、親戚の方が大集合されますから、その準備を兼ねての早めにお見えになったようです。
Enちゃんの通訳を兼ねて、積もる話に花が咲きました。鮪馳のママから預かったお目出度いお土産を真っ先にプレゼントしました。作られた方が、4月に満99歳になられるママのお母さんのA.A.さんだと言うことも、忘れずにお伝えしておきました。写真のS.P.先生の手元にある赤い鶴と、モリゾー・キッコロがその品です。
<お土産の品のこと>
今回の私のお土産は、手作りのクラフトの鶴と、ビーズのモリゾー・キッコロでした。私の今池の定番のお店、鮪馳(イチ)のママのお母さんのA.A.さんが作られたものです。4月8日に満で99歳、数えで100歳になられる、お元気な方です。
その鮪馳のお店が、2月12日の日曜日にテレビの人気番組の取材を受けましたから、岡崎市近くの幸田から、お店に見えていました。その夜、鮪馳のお店でご一緒する機会がありました。Ogさん達と、長浜の盆梅展、鴨鍋料理を楽しんだ帰りのことでした。
A.A.さんは、今でも毎週カラオケを楽しまれています。翌日は、お孫さんのKyちゃんのお店で10曲余りを歌うつもりだと話されていました。この日、1曲だけ、伴奏なしでご披露して頂きましたが、科白(セリフ)がお得意のようです。
一番下の娘さんである、鮪馳のママを通じて戴いていた、今回のお土産はクラフトと、ビーズ作品でしたが、お土産に選んだ理由を記しておきます。まず、クラフトの鶴です。とても、ご高齢の方が作られたとは思われない、しっかりした折り方と造形でした。赤色系統で、お目出たい色が旧正月にピッタリだったこともあります。
次に、モリゾーとキッコロのビーズ細工です。昨年の愛知万博見学に来日された際に、ご一緒する機会がありましたから、遅ればせながら、その時の記念になればと、思った品です。偶然、鮪馳のお店で見かけましたから、ママにお願いしました。薄い緑と、濃い緑のビーズで、モリゾーとキッコロが表現してあります。S.P.先生の前にあるのが、そのプレゼントです。
以前にも、色々と作品を頂いたことがあります。まず、焼物です。茶碗や花瓶など、形や釉が多彩でした。最近は、紐編みの鶴や、キティちゃん人形等も沢山いただきました。改めて、お礼を申し上げます。有難うございました。
<電車で都心部へ、飲茶の昼食>
11時頃に電車に乗って都心部へ出かけました。「上海軌道交通5号線」の銀都路駅から2つ目が終点の■荘駅です。ここで地下鉄1号線へ乗り換えました。昨年までは、一度出札して、地下鉄切符を買っていましたが、そのまま構内で乗り換えができるようになりました。これだけでも、ずいぶん便利になりました。
地下鉄1号線の下車駅は、都心部の陜西南駅です。ヒルトンホテルの資本が入った花園飯店にも近く、その向かいのジャディ・ガーデンが目的地です。創作四川料理の店に次いで楽しみな飲茶のお店です。このお店の熱々のショウロンポウが最高です。
中国旅行で好きになったのが黒酢です。次々と運ばれてくる餃子、饅頭類やショウロンポウに、たっぷりと黒酢を付けて、美味しく戴きました。今回も大満足でした。
<自由行動、自由市場へ>
食事の後、自由行動になりました。私は最初に自由市場へ向かいました。コウキ君は始めての単独行動になりました。少し緊張気味でしたが、自由市場までは一緒に行動しました。歩いて行ける距離です。
2010年の上海万博が、いよいよ近づいてきました。その影響を受けたのでしょうか?自由市場が閉鎖されるようです。確かに、不正コピー商品が今も扱われていますから、国際イベントを控えてのマイナスイメージを払拭するための処置のようです。6千万人以上の入場者を見込んでいるようです。
広い通りをまっすぐ歩いて、10分足らずで自由市場に到着しました。約束の6時半には余裕を持って、自宅へ帰られるようお話して、Kk君とはここでお別れしました。
今回は、自由広場での買い物予定はありませんでした。足早に歩いて、早々に次の目的地へ向かいました。最後になってしまうかもしれませんので、写真に収めておくことが目的でした。
足早に歩いていても、案の定「社長さん!社長さん!」の袖引きの人が最後まで付き纏ってきました。Kk君には袖引きが付いてこなかったと、後でお聞きしました。
<上海博物館>
自由市場からは地下鉄1号線駅まで歩きました。10分足らずの距離です。自由市場付近は歩道に人が溢れるくらいに混んでいましたが、東に歩くに連れて、その雑踏は緩和されました。人の数が少なくなったことと、歩道が次第に広くなってきたからです。
ゆっくりと見学したかったのが、この上海博物館でした。昨年も1時間半ほど見学しましたが、今回は、午後の時間をほとんど充てることができましたから、その倍くらいの時間を割くことができました。
インターネット情報のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを参照して、上海博物館の概要を紹介しておきます。S.P.先生が上海市の文化局長を務められていた時、来日の折見学された、愛知芸文センターを参考にされたともお聞きしました。
*沿革
1952年に旧租界の競馬場跡地に上海市立博物館が建設されました。その後、数回の移転が繰り返されましたが、最終的に1993年、人民広場に移転が決定し、総延べ床面積3万9千2百平方メートルの新館が1996年に完成、同年10月12日に移転、一般公開されました。現在は、上海市庁舎、上海大劇場と共に上海の政治、文化の中心地になりました。
*外観
上海建築研究設計院の設計によって作られた、建設費用は5.7億元とされます。その外観は最上部に円盤を頂き、下部が鼎の形状を模しています。『取手』のような半円形の構造物が最上部に弧を上、弦を下に東西南北に設置されています。この外観は、『天円地方』という古代からの中国の世界観、宇宙観を示していると同時に、鼎に代表される青銅器コレクションを示しています。
*収蔵品
新石器時代から現代まで貴重な文物が12万点以上収蔵されていいます。蔵書は20万冊を数えます。
収蔵品の内、特に貴重なものとされるのは、紀元前19世紀から前3、4世紀までの青銅器です。博物館の外観が、青銅器を象った謂れになります。世界的に有名なコレクションとされます。また、書画・印璽等すべて清代以前のコレクションに統一されています。
*展示概要
各展示館は先進電化施設が使われています。ライトを人の接近距離によって自動的に明るさの調節できる施設等です。館と館の間をつなぐ遊廊は中国園林仕様です。中国伝統と現代技術の融合を感じさせます。各階の主な展示内容は次の通りです。
1階:中国古代青銅器や古代彫刻の館、唐三彩や北魏の仏像等。
2階:青磁、白磁、景徳鎮など50点あまりの磁器類。
3階:歴代印鑑と書法、絵画類。
4階:少数民族の工芸品と古銭、古代玉器、明、清時代の家具等。
今回は、時間をかけて、この全ての階の見学ができました。1階の展示物は、青銅器に代表されるように、この博物館でも一番の見所です。係りの方に、撮影ができるかどうか確認しましたら、即座にOKが出ました。仏像もレベルの高い収蔵品が揃っています。中でも、表情豊かな北魏の仏像は魅力的です。
2階も私の好きな展示が揃っています。陶磁器類の展示です。乾隆帝等の皇帝に献上された極上の陶磁器類は、海を渡って台北の故宮博物館に収蔵されるところとなりましたが、質の高い収蔵品もあります。比較的年代が新しい、景徳鎮窯の焼物も見所です。
3階の書画類は、解説書が無ければ難しい鑑賞となります。王義之、王献之の書は無理でしょうが、私の好きな唐の四大家、欧陽詢、虞世南■遂良、顔真卿の書が見当たらなかったのが残念でした。西安観光の折、顔真卿の晩年の石碑を見た時の感激が忘れられません。
今回は、4階の少数民族(差別的なニュアンスがありますから、好きな呼び方ではありませんが、先住民族もぴったりしませんから、そのまま使いました)の衣装、文物もゆっくり鑑賞しました。
*付記(上海博物館ホームページから)
簡略自体ではない方を選択しましたら、文字化けしませんでしたから、ホームページに記載された沿革を紹介しておきます。ここに記載された数字類を参照して、上記の記述は一部修正しました。(この旅行ブログにアップした際の文字化けが■です)
「上海博物館是一座大型的中國古代藝術博物館,館藏珍貴文物12萬件,其中尤以青銅器、陶瓷器、書法、繪畫為特色。藏品之豐富、品質之精湛,在國■外享有盛譽。上海博物館創建於1952年,原址在南京西路325號舊■馬總會,由此開始了■的發展之路。1959年10月遷入河南南路16號舊中匯大樓,在此期間,上海市政府作出了決策,撥出市中心人民廣場這一■金地塊,建造新的上海博物館館舍」
「上海博物館新館於1993年8月開工、1996年10月12日全面建成開放。上海博物館建築總面積39200平方米,建築高度29.5米,象■“天圓地方”的圓頂方體基座構成了新館不同凡響的視覺效果,整個建築把傳統文化和時代精神巧妙地融為一體,在世界博物館之林獨樹一幟。新的上海博物館設有十一個專館,三個展覽廳。目前,它正以嶄新的面貌迎接著八方來客」
<帰宅、銀都路に集合の親戚の皆さん>
18時半集合の約束でしたから、余裕を持って17時半頃に銀都路の駅に着きました。ご自宅まで、歩いて10分程の距離ですから、その途中で大晦日の銀都路界隈の写真を撮っておきました。人出がほとんど無くなり、例外を除いて、お店も閉まっていました。例外的に開いていたのは、コンビニと一部の飲食店だけでした。
昼食のお店を出たところで、自由行動となった皆さん達は、すでに帰宅されていました。買い物やら、アフタヌーンティ、豫園見学等をされたようでした。私が行き先を告げていた上海博物館へも足を運ばれたようですが、少し時間が遅く入場ができなかったようです。
1階のロビーは賑やかになっていました。午後からずっとご自宅で時間を過ごされていた方も見えたようです。それぞれに積もる話に花が咲いていたようです。
<娯楽室で>
地下の娯楽室では、麻雀と玉突きが始まっていました。後ろに立って麻雀を見学しましたが、ルールはリーチ麻雀とはかなり違っていました。
そのルール等を少し紹介しておきます。4人打ちでしたが、3人打ちでも支障のないルールでした。ジャン牌は日本の品と同じです。大きな牌ではありません。リーチは一切ありませんから、裏ドラがありません。花牌と、赤のピンズ、ソウズ、マンズが全て使われていました。チーかポンでの手作りが基本です。
一番違っていたのが、清一色(チンイツ)、(混一色)ホンイツか対対(トイトイ)以外の手作りを見なかったことです。タンヤオなどの概念は無いようです。対対には、字一色(ツーイーソー)も含まれます。これ以外の手がないルールのようです。ただし、このルールは標準的な中国麻雀ではなく、仲間内の個人ルールということでした。ルールを単純化して、誰にでも楽しめるように変えたルールとも言えます。
フリテンのルールは無いようでした。捨牌を綺麗に並べている人もいましたが、川に捨てている人が殆どでした。花牌、赤牌は、フーローして、必ず最後尾から積もってこなくてはいけません。例えば、赤ウーピン(5筒)、赤サンマン(3万)等が含まれていると、アガリとは認められませんでした。
この後のルールはまったくの推測です。チーの仕方から見て、一気通貫の役は無いようでした。国士無双の上がりも、多分無いでしょう。ただし、大三元は役が余分に付くようです。点棒は使わずに、ある有名人の写真が入った紙で、上がりのつど、清算されていました。ハコテンやノーテン罰金のルールも無いようでした。
日本での麻雀の別名は「中国語の勉強」です。発音の方はともかく、数詞の1、2、3などは、全て中国語読みですし、ツーイーソー等の役の読み方、ポン、チィなどの行為も、殆ど中国語読みです。後ろから拝見していて、改めてそのことが実感できました。皆さん、打ち慣れているようでした。手つきですぐに分かりました。
<大晦日の宴会>
大晦日の宴会は、ご自宅から歩いていける距離のお店でした。夕方の7時頃に家を出発しました。初めて知ったことですが、その一角は不夜城のようにネオンが輝き、総合レジャーランドのようなビルやレストランが軒を並べていました。
薄暗くなって、あちこちから花火や爆竹の音が聞こえてくるようになりました。レストランの前でも、爆竹が始まっていました。白い帽子を被ったコックさんも制服のままお店の前に出てきました。本当は、今日のお仕事を休んで、自分でも爆竹を鳴らし、花火を上げたい人達でしょう。昨年のことを実験していますから、その気持ちは良く分かります。
そのお店の3つの円卓を囲んで、S.P.先生の口火で大晦日の宴会が始まりました。『宝燕海鮮』のネオンが輝いていたレストランです。ご年配の方から、半年、1歳の赤ちゃんまでのS.P.先生を中心に、ご親族の方が集まられました。昨年の還暦祝いの席にも出席させて頂きましたから、お顔だけは存知上げている方が、大勢見えました。総勢で30名ほどの大宴会です。
最初に少しビールを頂きましたが、後は全て紹興酒に切り替えました。中国料理には一番良く合う飲み物と割り切っているからです。宴が進むとテーブルを回ってお酒を注ぐ人も増えてきました。「乾杯」と言ってしまうと、飲み干さなくてはいけませんから大変です。お酒が強い方も多く見えましたから尚更です。
ビデオを回している方もあり、私もデジカメをフル回転しました。撮り損なった分は、Ogさんのカメラもありますから安心でした。
<爆竹、花火>
昨年もものすごい量の花火、爆竹を買い込んでPnPnちゃんの構想万所に預けてありましたが、今年は更に大量の花火と爆竹が用意されていました。昨年はPnPnちゃんのマンションの前でしたが、今年は銀都路の住宅前の公道が選ばれました。広い通りですから、少々、火の粉が飛び散っても大丈夫です。
公道を選んだのは、住宅内では、火災事故などの心配があったからです。昨年、近くの住宅で、芝生に火が着いていたのを目撃していました。公道で花火や爆竹をやれば、翌朝には、大方清掃が済んでいるのも、理由のひとつです。
銀都路の住宅からは、手分けして花火と爆竹を運びました。運搬には、キャスターも活躍しました。家に置いてある時に、纏めて写真を撮って置けばよかったのですが、つい、写し忘れました。Enちゃんからも撮影を頼まれていましたから、残念なことをしました。
昨年の火付けの主役はMyちゃんでしたが、今年はKk君が代役を務めました。小さな花火で、最初は面白がっていたお子さんは、あまりもの音と光と煙で怯えてしまいました。とうとう、お父さんにしがみ付いてしまいました。
夜の写真はピントが合わなかったり、タイミングがずれたりして、なかなかうまくは取れません。今回も、あまりいい写真は撮れませんでした。やはり、現地で体験する以外に無いようです。
<深夜は、SnSnちゃん達と>
お兄さんのPnPnちゃんが仕事で出張されるので、元日は、SnSnちゃん一人になるようでした。それで、宴会の時から、もう少し飲みたいと話されていました。
それで、PnPnちゃんが運転手役で、銀都路のEnちゃん宅にやってきました。お二人とも日本での生活経験がおありのようです。日本語SnSnちゃんは上海では、はじめは日系の会社、今はアメリカ系の会社の勤められているようです。実戦で鍛えられた語学力です。
お兄さんの方は、車の運転がありますから、もっぱら聞き役でした。お酒も飲まれませんでした。その分を含めて、SnSnちゃんの話とお酒が止まりませんでした。気が付いた時には、時計の針は2時を回っていました。
運転のためにお酒を我慢して、お兄さんがその時間まで待っていてくれました。
朝の散歩
靄未だ晴れぬ静けき銀都路の蝋梅愛し晦日の散歩
自由市場
上海の万博の時近付きぬ見納なりし自由市場よ
上海博物館
大晦日午後の総ての時充てて隈なく巡る至宝の館
大晦日の宴会
白帽の人も爆竹観に出し晦日の夜の宴会半ば
爆竹と花火
年越の花火は上り爆竹は弾けて赤き落花となりぬ2010/08/29 05:08:42
- 国盗り合戦 & 神仏霊場 & シャクナゲ...
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ちょっと巡礼オタク傾向のある私は、今年は、ケータイ国盗り合戦、という携帯でのスタンプラリーゲームにはまってしまってます。混雑嫌いゆえ、ゴールデンウィークは、ずっと巣ごもりしていましたが今日は、その反動でドライブしようと思い立ちました。
「どこに行こうかな」という時に、この巡礼とか、国盗りゲームは役立ちます。地元の京都、山城エリアで、盗り残していた「木津」を取りに行こうと思い、それならついでに、奈良、大和エリアも攻略したい、と思い、木津、笠置、柳生、室生寺、柏原、高田、天理、郡山、奈良と走り抜けて、吉野地区以外のスタンプをゲットしました。
(解説: 国盗りというのは、GPS機能を使って、旅先で国を盗り、領土を広げる、というゲームです。スタンプラリー的な感覚で楽しめるので、すっかりはまってしまいました。「ケータイ国盗り合戦」で、検索できます)
しかし、ただ、走るだけでは芸がない、と思って、「神仏霊場」という、寺と神社の両方を含んだ、最近できた霊場めぐりの公式ガイドブックをみると「室生寺」が入ってましたので、室生寺に立ち寄ることにしました。と、折からの、シャクナゲの開花で、さらに充実したドライブになりました。
海外旅行でもよく、聖地めぐりに行きますが、インドやネバールの聖地めぐりの旅行記は、下記のページでお読みになれます。
Mari Shiono's Pages
ちなみに、私は、フォートラベルの新参者ですが、
マイページにある地図、あれはやばいです。
ああいう地図をみると、つい、塗りつぶしたくなってしまうんです・・・
またまた、はまりそうで、やばいです。2010/08/01 06:08:25
- 新緑の大和 正暦寺 2010...
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気持ちよく晴れた連休に、遷都1300年祭で賑わう奈良県の天理へ出かけました。
正暦寺は、奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)にあり、奈良と天理の中間くらいに位置します。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として有名なだけあり、モミジの新緑が美しかったです。また、境内を清流 菩提仙川が流れており「日本清酒発祥之地」でもあるそうです。2010/06/27 09:06:35
- 娘とバンコクへ...
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【2回目のバンコク】
今年最初の海外旅行(3月10日から)は娘と二人でのタイ旅行になりました。いつものように、偶然が重なり必然になりました。大学生の娘にとっては春休みで、一応プロのキックボクシング選手の彼女はムエタイの本場、タイには当然の如く興味があります。私も昨冬のJENESYS(AFS)の仕事でバンコクからの留学生と知り合い、彼女の父親が名門チュラロンコーン大学の整形外科の医者と知り、是非訪問したいと思っていました。値段的にもタイは手頃です。もう15年も前、九大病院で働いていた時に学会でやって来たチュラロンコーン大学の泌尿器科主任教授の家族の接待係を任され、福岡タワーや太宰府を案内したことがあります。その時から日本の東大のようなチュラロンコーン大学の名前は知っています。
曜日の関係で福岡からのタイ航空の直行便は取れず、中華航空の台北経由でした。タイ航空の中国語表記は「泰國航空」で、前回の旅行のキャセイ航空は「國泰航空」です。ちょうどひっくり返した漢字です。自分の名前の「泰」が入っているのでタイ国には勝手に親近感を感じていましたが、今回はこういう面白いことに気が付きました。それにしても、台北の空港には乗り換えのために何度も来ています。前回のネパールの時も立ち寄りました。でも、こんなに近いのに何故か一度も空港以外に入国したことはありません。上海と同じで、そのうち仕事で来るような予感がしますので、今のところは自分で台湾旅行は予定していません。
以前タイに来たのは、アジア泌尿器科学会で後輩の医者二人と一緒でした。もう15年ほど前の話です。当時の空港は今回の空港とは違います。学会の後で、古都アユタヤまで船で行きました。そして、遺跡などを歩き回りましたが、根性のない一番若い後輩は「死の行軍」だと我々先輩二人をなじっていました。確かに36度程度の炎天下を歩き回りましたが。そして、帰りは鉄道マニアのもう一人の後輩のために、船をキャンセルしてわざわざ汽車に乗りました。どうせ、物価が安く汽車代も安かったと思います。若い後輩は疲れて座席で寝てしまいましたが、年配の我々二人は元気に立ったままでした。しかも、立っていた我々二人は現地のタイ人に少しからまれましたが、小柄なタイ人のこと、あまり怖くはなく適当にあしらった記憶があります。鉄道マニアの後輩はこの車両は日本の鉄道の払い下げで、車両番号かなんかまで解読していました。
その時印象深かったことがあります。アユタヤからバンコクまでは列車で数時間だったと思いますが、地図で見ると1時間もしないでかなりバンコクに近づいています。計算が合わないと思っていると、徐々に理由がわかってきました。市内に近づくにつれ、どんどん列車のスピードが落ちるのです。驚いたことに貧困者が線路沿いに住んでいるのです。ですから、列車の方が遠慮してゆっくりしか進めないのです。これはカルチャーショックでした。最近、新幹線の計画もあるベトナムの列車がテレビで紹介されていましたが全く同じでした。市内の線路沿いには貧しい人々が住み着いているのです。ですから、列車はゆっくりしか進めません。開発途上国共通のようです。
福岡から台北まで2時間半、そして1時間半ほどの乗り換え時間があり、台北から3時間半ほどでようやくバンコクです。着いたのはもう夕方です。空港からは空港手配代50バーツを払ってタクシーに乗り、合計75バーツの高速料金を払い、約1時間も乗ったのにメーターは400バーツでした。しめて合計525バーツ(1バーツは約2.8円)程度とかなり割安な感じです。現金はいつものように、空港に到着後にATMでクレジットカードでの現地通貨キャッシングです。私はこの方法が一番簡便で手数料が安いと信じています。
ホテルに到着しました。今回はいつもの旅行代理店にホテルも任せたので、私としては立派なホテルです。自分で直接予約するとつい安い所を選んでしまいます。早速、ぶらぶらします。近くの繁華街、MBKと言うショッピングモールの辺りへ行きます。平日なのに、日本のお祭りのような雰囲気で、路店が多く、人も賑わっています。福岡にもあり、家族でも時々行ったことのあるタイしゃぶのチェーン、MKレストランを見つけました。いつものようにメニューを覗いてみましたが、少し食材が違い、麺も黄色いのでなく、緑色の特殊な麺でした。娘と相談し、他にいい店がなければここにしようと決めました。
しばらく歩くとよさそうなレストランを見つけました。早速、楽しみにしていた辛いタイ料理を堪能します。もちろん、えびスープのトムヤムクンは必須です。期待通りの味でした。カニのカレー風味、魚料理などをメインディッシュとして頼みます。私は菜っ葉類が大好きですが、今回頼んだ HK kale oyster sauce が最高においしかったです。漢字で空芯菜と書いてありました。ほうれん草に似ていますが、中華タイ料理らしく小さく切らずに大きい野菜のままで、炒め具合が絶妙で芯の部分がほどよく、しゃきしゃきして食感が最高で、オイスターソースと絶妙のハーモニーです。「ケール」と言うのは、青汁の材料としては知っていましたが、野菜として食べたのは初めてですが、とにかく最高においしかったです。日本に帰って調べると、ケールとはキャベツに似ていると書いてあります。私が見たのはHK、つまり香港ケールでむしろほうれん草に似ていました。たぶん、少し種類が違うのでしょう。デザートも込みで二人で1100バーツでした。タイの物価から言えば贅沢なくらい食べました。
夜ホテルに帰ると、期待していたタイマッサージがあります。娘に聞くと、娘もトレーニングで筋肉痛があるので受けたいといいます。一緒に受けました。娘は1000バーツのアロママッサージで、私は半額の古式マッサージです。ボキボキやられるのを覚悟していましたが、日本で受けたことのあるタイ古式マッサージよりはソフトな感じでした。
【二日目】
今日は朝から観光です。Tuktukで風を切りながら、一番有名そうな寺院、ワット・プラケオへ行きます。王宮と一緒になっています。ここは宗教的にドレスコードが厳しく、ホットパンツの娘は巻きスカートを穿かされました。結構、似合っていました。普段、娘と写真を撮ることもないので、豪華絢爛な寺院をバックにたくさん写真を撮りました。彼女は相変わらず無邪気にVサインをして映ります。バカっぽいので私はあまり好きではありませんが。黄金に輝く仏塔、プラ・シー・ラタナー・チェディや尖塔や悪魔と猿神が支えるプラ・スワンナ・テェディなどがあり非常にカラフルです。本堂には、エメラルド色をした仏像があり、「エメラルド寺院」とも呼ばれているそうですが、残念ながらここだけは写真撮影が禁止されています。
次に、普通のタクシーでワット・ポーへ行きます。タクシーを降りると怪しい奴らが今日は国の ceremony で中は休みだと声を掛けてきます。地球の歩き方に書いていた通りです。どうせ嘘だと無視します。角を曲がって入り口へ着くと案の定開いていました。ここは以前に来たことがあるのをよく覚えています。巨大な涅槃像、つまり寝仏があります。
以前にバンコクへ来た時の思い出の一つに、横断歩道や信号があまりなく、道路を渡るのが怖くてしかたがなかったことがあります。ずうーっと観察していて(約1時間も)、横断するコツがようやくわかりました。自分のペースで躊躇せずまっすぐ同じペースで歩くのです。少し怖いですが、車も人を撥ねたくはないので止まったり、スピードを落としてくれます。でも、今回は横断歩道が増えてそんな苦労はありませんでした。しかも、信号では残りの秒数が表示されるのでわかりやすくなっていました。信号もほとんどないネパールに比べるとやはりかなり文明国です。
キックボクシングをやっている娘はたくさん買い物があります。途中で、マーライと呼ぶらしい造花の首掛けを探しました。リングで試合前に選手が首に巻いてるやつです。何軒か回っていい店を見つけました。どうも必ず線香などと一緒に売っています。仏具屋に置いてあるようです。やはり、キックボクシングもここタイでは宗教的なもののようです。値段は安く、一つ50~60バーツ程度です。
昼食は小汚い普通の小さな食堂へ入りましたが、やはりタイ料理はレベルが高く値段も安く(600バーツ)それなりの味でおいしかったです。昨夜と同じケールも頼みました。昨日ほどではありませんが、おいしかったです。トムヤムクンも同様です。
一端ホテルへ戻り休憩した後、タクシーに乗りチャオプラヤ川の桟橋へ行きました。どうもタクシーがいい加減でこちらが調べた桟橋でなく、適当な所へ連れて行かれ、どうも仲間の Long tail boat を紹介されました。2000バーツと少し高いのですが、ぼられているのを覚悟でクルージングの船に乗り込みました。名前通り、細長い小船です。狭い運河から見飽きるほどのワット(寺院)を見、貧しいおんぼろ家もたくさん見れました。最後には、向かい側にワット・アルンが見えます。夕日がきれいだとガイドブックには書いていますが、それほどでもなかったです。対岸が終点で降ろされましたが、ちょうど午前中に観光したワット・ポーの近くでした。
夕方までにホテルへ戻り部屋で待っていると、約束通り7時頃電話があり高校の制服姿らしいヴァネッサがお母さんとフロントで待っていました。建興酒家(Somboon Seafood)というシーフードで有名な中華風タイ料理の店へ連れて行ってくれ、そこで父親と姉と妹の3人と合流しました。本音で言うと、少しだけ残念でした。どんな家に住んでいるか見たいので、自宅に招待してくれることを期待していたからです。お父さんが名門大学の准教授で、お母さんも女医、20歳の長女は医学部の学生、私が広島で知り合ったヴァネッサは医学部志望、そして10歳で眼鏡をかけた妹さんがいました。絵に描いたようなエリート一家のようです。ここのレストランもそうですが、中国系、つまり華僑のようです。
娘はイタリアには一年間留学しましたが、英語もそんなに得意ではなく、会話が弾むかと内心心配していましたが、杞憂でした。さすがに我が娘。自分のペースでキックボクシングの話など女の子同志で盛り上がっていました。タイ人とは言え、秀才の長女は何でキックボクシングなんかやっているのかと、興味津々で娘に質問していました。食事は最高で、魚料理、肉料理、フカヒレスープ、野菜料理とありとあらゆる物を楽しみました。最後は末の娘さんの大好物というデザート、Taro(暖かいケーキ)でした。これは特別なことはありませんでした。ここでも、トムヤムクンも頼んだのですが、これだけは昨夜のレストランの方が辛くておいしかったと娘と話していたらその理由がわかりました。お母さん曰く、ヴァネッサは(タイ人なのに)辛いのが苦手で、少しマイルドにするように頼んであるそうです。そう言えば、彼女は辛いのが苦手と日本でも言ってました。タイ人でも辛いのが苦手な人がいると知ったのは驚きでした。
【ムエタイ一色の三日目】
今日は娘のための一日です。ムエタイの試合は夕方からですが、彼女の目的のキックパンツなどを買いに行くため、朝からルンピニ公園のはずれにある有名なルンピニ競技場へ行きます。タイの地下鉄に乗って見たかったので、無料のホテルのTuktukで地下鉄駅へ行き、地下鉄で三つ目の駅のルンピニ・スタヂアムで降りました。競技場の回りには確かに何軒もキックボクシング用品を売っている店があります。でも、娘が楽しみにしていた夕方までにキックパンツに名前を刺繍してくれるサービスはありませんでした。それでも日本の値段の五分の一程度だと言って、頼まれた分も含めて6枚ほど買いました。もちろん、支払うのは私ですが。ついでに、キックのグローブとミットも一つ買いました。昼食は、せっかくホテルの無料券があるので、ホテルのレストランへ戻るとバイキングでした。本来、800バーツのようでした。
午後は昨日の涅槃像に対して立像のワット・イントラウィハーンを見に行きましたが、結局ガイドブックと合致せず、名前もあまり有名でなくあるべき所にはただの寺院しかありませんでした。狐につままれたような気分でした。娘に次にどこへ行こうかと相談すると、衝動的に虎が見たいと動物園へ行くことにしました。タクシーで行くと、ちょうど白いベンガル虎が有名なようでした。タクシーはメーターが35バーツから始まり、市内はせいぜい100から200バーツ程度です。Tuktukはもちろんメーターはありませんが、だいたい100バーツ程度が相場のようです。動物園自体はそんなに珍しくはありませんでしたが、動物園の一角に軍隊の基地があるようで、動物園内も若い兵隊さんがたくさん歩いていました。でもタイ人は小柄で優しい顔をしているので、全然迫力はありません、つまり怖くはありません。
まだ時間があるので、ショッピングセンターのBMKへ行きました。娘は「パチモン」のピアスやネックレス等を夢中になって買っています。念のため意味を尋ねると、偽ブランド品のことのようです。それから、娘がお土産用にとたくさんのタイのチョコレートを買っています。私はしょっちゅう海外へは行きますが、お土産の買い物は一切しません。Food centerを覗くと、私の大好きな屋台風の食堂が並んでいます。おやつ代わりに、麺と空芯菜をたったの35バーツで注文します。やはり、こういう所は安くておいしいです。そうすると、さっきのパチモンの若い店員がやって来ました。娘と写真を撮ってあげました。知らない人に見せたら、どっちが娘でどっちがタイ人かわからないでしょう。と言うのは、娘はショックを受けていましたが、今回の旅行で何度も現地の人から、娘はタイ人にそっくりだと言われているからです。
これを書いてる今は5月です。タクシン元首相支持派団体(赤シャツ隊)のデモと現政府での衝突がかなりひどくなっています。貧しい地方の農民に人気のタクシン元首相支持派と軍、政府、都会のエリート層の反タクシン派の衝突です。私が会ったバネッサの家族はもちろん反タクシン派のようです。何か、赤シャツ隊のことで困ったら電話してくれと言ってくれました。やはりコネがあるのでしょうか?ちょうどデモ隊に占拠されている地区はルンピニ公園を含む今回の我々の旅行先と重なっています。身近に感じます。
午後6時にいよいよタクシーでルンピニ競技場へ向かいました。朝、売り場をチェックしていましたが、リングサイド席は一人2000バーツとこの国の物価を考えると非常に高いです。そのせいか回りを見ると、リングサイド席は白人や日本人だらけでした。試合は何試合もあります。相撲の土俵入りと同じで、一試合ごとに試合前の宗教的な踊りがあります。最初は興味深く見ていましたが、段々飽きてきます。
早く試合だけを見たくなります。なかなかKO勝ちはありません。娘に聞くと、ムエタイはキックボクシングとは違い、偶然性のあるKO勝ちよりも全ラウンド闘って勝ったほうが評価が高いとのことです。でも、力の差があるらしくて、メインイベントのタイトル戦ではあっさりチャンピオンがKO勝ちしました。
終了後はもう9時45分を過ぎて遅いのですが、すぐ隣にナイトバザールのテント屋台があります。焼き肉兼タイシャブの店です。しかも、2人の場合、1人はたったの109バーツで食べ放題です。飲み物、デザートまで付いています。
【最終日】
実は私は今回の旅行の3週間前からあるメーカーの栄養食品(スープとジュース)を使ってダイエット中でした。割と簡単に2kg程痩せ、体脂肪率も23%から18%程度へ減っていました。しかし、今回の旅行中はせっかくのタイ料理ですから、ほとんど自由に食べました。でも、帰国して計ってみるとたいして変動していません。考えてみると、やはりタイ料理は一般的にヘルシーです。野菜が多いし、香辛料でうまく味付けしているので、油も控えめです。
今日は実質、帰国のみです。タクシーに乗ります。運転手はメーターを倒しません。嫌な予感がします。いくらぼられるのか冷や冷やしていましたが、要求されたのは500バーツだけでした。着いた時も、空港手配代50バーツと合計75バーツの高速料金込みで525バーツでしたから、ほとんど同じでした。何故か、空港へ向かう今回は高速料金は払ってないようでした。
台北では乗り換えの時間が4時間半もあります。でも、無料のインターネットを見つけたので、メールチェックができました。でもやはり、少し退屈です。
(終わり)
私は、日本で唯一の「旅行添乗専門医」です。「空飛ぶドク
ター」として商標登録しています。
興味のある人は私のウェブサイトを参照して下さい。
http://www.kanoya-travelmedica.com2010/06/26 06:06:35
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